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東京高等裁判所 昭和24年(ネ)50号 判決 1949年11月05日

控訴人 原告 四方田壽栄

訴訟代理人 松本重夫

被控訴人 被告 後藤賢

訴訟代理人 安達元吉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は原判決を取消す被控訴人の請求はこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。そして当事者双方の事実上の陳述は控訴人において控訴人は昭和二十年七月頃から同二十一年六月頃迄の間に本件家屋に付き屋根の修繕費約金千二百円、疊新調費金千八百円、一階表側ペンキ塗替費金千五百円、襖新調費約金千五百円、台所建具等修繕費約三千円、合計約九千円を支出しているが、これ等は被控訴人の負担に属する修繕費で控訴人はその償還を受けなければならぬから、本件家賃及び損害金債権と対当額にて相殺する。尚本件家屋返還の義務があるのであれば右修繕費の償還あるまで家屋を留置すると附加陳述し被控訴人において右修繕費支出の事実は否認する相殺及び留置権の抗弁は控訴人が故意又は重大な過失によつて時機に後れて提出した防禦の方法で、訴訟の完結を遅延させるものであるから異議があると述べた外は原判決事実摘示と同一であるから茲にこれを引用する。

立証として被控訴人は甲第一号証、同第二号証の一、二、同第四号証の一乃至四、同第五号証を提出し原審に於ける被控訴本人の訊問を援用し当審に於いて証人秋山俊平、被控訴本人の訊問を求め控訴人は原審に於ける控訴本人の訊問を援用し、当審に於いて証人秋山俊平、控訴本人の訊問を求め甲各号証の成立を認めた。

理由

控訴人が訴外秋山俊平の仲介によつて被控訴人所有の東京都豊島区西巣鴨四丁目五百四十三番地所在木造トタン葺三階建一棟建坪十八坪一合七勺、二階十坪、同六坪一合七勺、三階五坪(賃貸借物件の範囲に付ては争がある)に付き賃料を一ケ月金七十円とする賃貸契約が成立したこと右建物の内道路に面する一階十坪、二階十坪、三階五坪の部分を控訴人が占有していることは当事者間に争のないところである。控訴人は被控訴人との間に成立した本件賃貸借契約は単に右の占有部分のみでなく家屋全部即ち裏側二階建坪八均一合七勺、二階六坪一合七勺も含むものであると争うが成立に争のない甲四号証の(証人秋山俊平の訊問調書)原審にあける被控訴本人訊問の結果によると賃貸借契約成立当時裏側二階建の部分は被控訴人が使用する為めに留保したことが認められるから控訴人の右主張は採用し難い、原審及び当審における控訴人本人訊問の之に反する供述は右認定を覆し得ない。

次に被控訴人は本件賃貸借に付いては期間を控訴人が住宅を新築するまでと定めたものであつた所、控訴人はその後東京都北区西ケ原町八百十七番地に住宅を新築し、昭和二十二年六月三十日その新居に移転したから同日を以て賃貸借契約は終了したと主張し、甲第四号証の二原審における被控訴本人訊問の結果によれば戦災によつて家を失つた控訴人は賃借当時自分の家を建てる迄借受けたいと申出でたことが認められるから、これを審究して見るに賃借人が具体的に家屋建築に着手しているとか少くともその目論見を立てているとか云う家屋建築の実現性があつて只何時迄にと云うことを確定しかねる程度の状態にあつて叙上のような約定をしたのであれば、これは不確定期限を定めたものと解釈せねばならぬであろうけれども、単に家屋を新築したいと云う希望を持つているに過ぎないで未だ建築すると云うことが確実でない場合にはこれを以て何時かは必ず到来する不確定期限を定めたものと見ることはできない。甲第四号証の二に依れば本件賃貸借契約の成立したのは被控訴人主張のように昭和二十年五月頃であつて、当時は未だ太平洋戦争の最中で建築資材の欠乏、人手の不足甚しく且家屋は数次の空襲によつて次々に破壊焼失していたことは控訴人の原審及び当審における訊問の結果によつて認められるから、かかる事情の下においては個人の住宅を確定的に建築するということは誰しも望めなかつたところであるとするのが相当であり、自己の家屋新築までと云うような申出をした控訴人が建築請負業者であつたとしても、この新築は只将来の希望を述べたに過ぎないもので不確定期限を定めたものと云うことはできないと見るのが妥当である。そうするとこれを不確定期限を定めたものとし控訴人が事情の変更した終戦後の昭和二十二年六月三十日に住宅を新築したのを以て不確定期限が到来し本件賃貸借契約が終了したとする被控訴人の主張は理由がない。

仍て進んで被控訴人が控訴人に対してした本件賃貸借契約の解約申入の当否を審究して見るに(賃貸家屋の明渡を求める本訴請求には当然この主張が含まれるものと解する)解約申入の時期に付ては被控訴人の主張並に立証は必しも明確でなく、甲第四号証の二、三、原審における被控訴本人の訊問の結果によれば被控訴人が終戦後の昭和二十一年三月頃疎開先の鎌倉から帰来して本件家屋の裏二階に居住するようになり、同年五月には三男泰も復員して共にここに住むようになり、被控訴人は薬種商の再開をも志すに至り家屋の必要に迫られたので、その頃から自ら或は秋山俊平を介して控訴人に本件家屋の明渡を交渉したことを認めることができるが果して賃貸借の終了を目的とする一方的の解約申入か否かは明確でなく、これを確認するに足る証拠資料もない。そうすれば結局本件訴状の送達を以て正式に控訴人に対し解約の申入をしたものと認めるの外はないのである。そうして本件訴状が控訴人に送達せられたのは昭和二十三年五月十一日であることは記録上明白であるから、右解約の申入につき正当の事由があれば爾後六ケ月を経過した同年十一月十一日を以て本件賃貸借契約は終了したものと云わなければならない。そこで進んで正当の事由の有無について考えて見るに成立に争のない甲第二号証の一、同第四号証の二、当審証人秋山俊平の証言、被控訴本人の原審並びに当審における訊問の結果によれば、被控訴人は薬剤師の免許を得ており十数年来本件建物で藥種商を営んでいたが、今次の戦争に際し、その子四人は全部応召し被控訴人も戦争の為め営業振わず、右家屋中前示認定の表側の部分を控訴人に賃貸して鎌倉方面に疎開するに至つたが、終戦後長男久以下総て復員し被控訴人も帰来して息子泰、修と共に係爭建物の裏側二階建の部分の二階に居住し、息子二人の収入によつて生活を支えているものであるが(三男泰には妻帯させねばならぬ必要に迫られている)元の藥種商を復活せねば生活にも困るに至つたもので為めに表道路に面する控訴人占拠の部分を是非使用する必要があることになつた事実を認めるととができる。一方控訴人の方は成立に爭のない甲第四号証の三、同第五号証、原審における控訴本人の訊問の結果によると、終戦後の昭和二十年九月東京都北区西ケ原町八百十七番地に木造平家建事務所兼住宅二十八坪七合を建設することになり、同二十二年六月頃完成したので、その頃よりこれを住宅としてそこに居住していることが認められる。尤も右証拠に依れば控訴人は右家屋においては妻子六人と共に居住し、電話の便なく営業に必要なトラックを引込むこともできず不便で仕事先の造幣局へも距離が遠いことが認められるが、建坪六坪一合六勺の二階に母子三人が居住し且生活を維持する為め本件家屋を必要とする関係に在る被控訴人側の状況と比較考慮するときは、控訴人は被控訴人の為めに本件家屋の使用に付て譲らねばならぬものであり、被控訴人の解約申入は正当の理由があるものと認めるのを相当とする。そうすれば前述のように本件家屋の賃貸借は昭和二十三年十一月十一日を以て終了したものと認めなければならぬから控訴人は被控訴人にこれを明渡さねばならぬ。

次に被控訴人の家賃、損害金の請求に付て判断すると控訴人はこれが弁論に付て何等主張がないから被控訴人請求にかかる昭和二十二年七月一日以降明渡済に至る迄の家賃、損害金を支払う義務があるもので、即ち昭和二十二年七月一日から同年八月三十一日迄は約定の一ケ月金七十円の割合の賃料を同年九月一日から同二十三年十月十日迄は昭和二十二年九月一日物価庁告示第五百四十二号による家賃の修正率二・五倍を乗じた停止統制額一ケ月金百七十五円(本件建物が昭和十三年以前の建築にかかることは成立に争のない甲第一号証によつてもこれを認める)の割合の賃料を同二十三年十月十一日から本件賃貸借契約の終了した同年十一月十一日迄は右更正額に更に昭和二十三年十月九日物価庁告示第千十二号による家賃修正率二・五を乗じた停止統制額一ケ月金四百三十七円五十銭の割合の賃料を契約終了後の同年十一月十二日より家屋明渡済に至る迄は右最後の賃料に相当する損害金を夫々支払う義務がある。被控訴人の昭和二十二年七月一日から同二十三年五月十一日迄一ケ月金七十円、同年同月十二日から同年十月二十日迄一ケ月金百七十五円、同年同月二十一日から建物明渡済に至る迄一ケ月金四百三十七円五十銭の各割合による金員の支払を求むる請求は右請求権の範囲内の請求であるから総て正当である。

尚控訴人は昭和二十年七月頃から同二十一年六月頃迄の間に本件家屋につきその主張のような修繕費合計約九千円を支出しているが、これ等は被控訴人の負担に属する修繕費で控訴人はその償還を受けなければならぬから、本件家賃損害及び債権と対当額で相殺する。又家屋返還の義務があるのであれば右修繕費の償還あるまで本件家屋を留置すると主張したが、右は控訴人が故意少くとも重大なる過失によつて時機に後れて提出した防禦方法であり、之が審理は訴訟の完結を遅延させるものと認められる。被控訴人は之につき異議を述べて却下せられたいと申立てているから裁判所は右の防禦方法はこれを却下し判断を与えない。

叙上の理由により被控訴人の本訴請求は正当であつてこれを認容すべきであるから本件控訴を理由がないものとし、民事訴訟法第三百八十四条によりこれを棄却し訴訟費用の負担につき同法第九十五条、第八十九条を適用して主文のように判決する。

(裁判長判事 中島登喜治 判事 小堀保 判事 箕田正一)

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